TEA FACTORY GENさま

日本のものって、やっぱいいな。
お茶っていい!

世羅の街を走り抜け、標高が上がっていくのを感じながら向かった先に、
なんとも趣のある木造の平屋が待ち構えていました。

「津久志製茶工場」と書かれた年季の入った看板を横目に、ガラガラと扉を開けると、

私たちが長年会いたいと焦がれてきたTEA FACTORY GENの髙橋玄機さんが出迎えてくれました。

かつて広島県で茶の名産地として知られた世羅で、玄機さんがお茶作りを始めたのは11年前のこと。
TEA FACTORY GENの1代目として、かつての面影を無くした荒れた茶畑とともに、世羅の街で成長を続けてきました。

優しく、丁寧に、ワイルドに淹れてくださった浜茶をひと口含むと、どことなく潮風の心地を感じる味わいに思わず笑みがこぼれます。
番茶の原料となる枝と葉を丸ごと茶摘みして、尾道の浜辺で潮風にあてて天日干しをしたお茶…。
揉むこともなく、シンプルかつサステナブルな浜茶のパワーに体が芯から温まります。

今回、玄機さんに聞いてみたかったこと。

「なぜ、お茶だったのか。お茶をやりたいと思ったのか。」

そこに玄機さんの、日本人として、そして広島人としてのアイデンティティがありました。

敗戦国となり、バブルは弾け、この広島の地で生まれてからずっとどこか暗い、自信のない空気感を感じ取りながら生活していたという玄機さん。
高校時代から日本を飛び出し、海外で生活をしてきました。

しかし、希望を胸に渡った海の向こうでは、なおさら一層に、自分の自信のなさを突きつけられたといいます。

「何がしたいのかわからない人生、日本人って何だろうと自分のアイデンティティに立ち返った時に、やっぱり茶道、千利休の茶の世界を避けては通れなかった。お茶をやろうと思ったんです。」

日本に帰国してから、大手の日本茶専門店に就職した玄機さん。大阪市内の百貨店の店舗に配属され、日々に忙殺されていたといいます。
(手取り17万円のうち、毎月10万円を貯めながら生活していたとか…。)

 次第に生まれてきたのは「自分がやりたいのは、こういう形でお茶に携わることなのだろうか…。」という思い。

迷った末、仕事を辞めてお茶から離れても、一度お茶の世界の虜になった青年は「やっぱりお茶のことをもっと学びたい。」と決意を新たに、生産者として修行の道を歩み始めました。

数年後、紆余曲折を経て出会った、世羅の荒れた茶畑。

TEA FACTORY GENは、2016年からこの地で、無肥料・無農薬の自然に寄り添ったお茶づくりに挑戦し続けています。

瀬戸内の豊かな自然を見つめ、共存する、唯一無二のお茶。

玄機さんを始め、スタッフ皆さんが自信を持って、
日本に、そして世界に届ける、広島県・世羅のお茶です。



鈴の茶より、感謝を込めて。

ANOTHOR STORY